2007年03月29日

能登半島地震の影響

3/25に起きた能登半島地震の影響で、
能登各地の祭りやイベントの延期・中止・変更について
(キリコ祭り以外のものも含みます)
確認できたものからこちらで案内していきます。

曳山祭(ひきやままつり:輪島に春の訪れを告げる祭り)

■住吉神社:4/4宵宮祭・4/5曳山祭(いずれも延期)
■重蔵神社:4/5宵宮祭・4/6曳山祭(いずれも延期)

詳しくは、
重蔵神社TEL0768-22-0695、住吉神社TEL0768-22-0656

住吉神社・重蔵神社ともに石塔が倒れるなどの被害が発生し、特に重蔵神社では大鳥居が倒壊するなど直接的な大きな被害も発生しています。また、氏子の住む河井町・鳳至町の被害も甚大でしばらくは街の復興が最優先となります。
posted by きりこ at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 祭り・行事

2006年10月29日

奉灯戯言 その2

漆黒や朱に華麗な蒔絵や装飾を施し、表文字と裏絵が映える塗り奉灯は、
古くより漆に係わるコトを生業とする家々が多かった輪島で塗られ、ほぼ能登全域より依頼を請けました。
また、電柱での電線架設による高さ制限で、古からの大きな輪島の塗り奉灯の多くは、能登の各地で大事に使われることとなりました。
この為、現役と言われる輪島の奉灯は、殆ど全てが漆で塗られた黒や朱の塗り奉灯となり現在に至ります。

私の家のショールームに可愛い小さな塗り奉灯が一基あります。ある篤志家の方から死蔵しているよりは…ということで御預かりさせて頂いたものです。
祭りで子供奉灯が担がれることなど殆ど無くなってしまいましたので、皆さん玩具と思われるようですが、以前は輪島の子供たちは、奉灯祭りを見物するだけではなく、子供奉灯を担いで祭りを体に染込ませました。勿論、担ぐというよりは、ぶら下がり、意味も分からずはしゃいでいただけという方が正確なのですが…
最近のニュースで見聞きする、親の責任を安易に子供に押し付けるような連中と違い、社会を習わせてくれた親に感謝するのみです。

輪島塗という偉大な財産を食い潰している私ですが、それでも分かっていてくれる方々に報いる為には、守り・育て・創ることのみです。これは、奉灯祭りに留まらず御当(おとう)などの輪島の地で育まれた様々な事柄が、私やツレ(仲間)をこの地に留まらせる唯一無二の理由なのかもしれません。照れ隠しに「親の世話誰するげん」とか言うヤツも、「俺ん時にねーしたら笑われるがいや」って言うヤツも、みんな分かってるんです。

地域と信心を持たないで、世界や世間が見えるとは思えません。人は比較することでしか立場が見えない弱い生き物なのではないでしょうか。
これは、輪島に限らず奉灯祭りに係わる全ての人に共通する思いなのではないでしょうか。と、考える小ざかしい漆師屋の戯言とお聞き流しくだされば幸いです。

posted by きりこ at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄稿

2006年10月25日

奉灯戯言 その1

「キリコ」と聞いて、何を想像しますか?
切り屑なら木工の経験者でしょうか。墓前に立てる蝋燭提灯が頭に浮かんだ方は、金沢出身者でしょうか。
能州輪島(のうしゅうわじま:能登國輪島)では、農林水産を複合して生業とする家々が多かったためか、夏に稲が虫に食われることを恐れて、夏の夜に火を掲げて山から海へと田圃の虫を誘う祭りが現在も一部地域で行われています。
これと、神社の祈祷と更に交わり儀式化し様式が洗練されていった結果、生まれたのが現在の奉灯祭りではないかと考えています。

輪島旧市街地の奉灯祭りは、奉灯を出す町内や企業や団体の当番家前に奉灯が立てられ、準備整い明かりを灯し、鳴り物と掛け声かけて、先ずは練り歩き神社に向かいます。
神社で羽織袴の責任者が参内し、お秡いを受けます。そして数々の奉灯に前後をお供された御興とお道具と引き摺り松明は、共に水辺へと向かいます。

全てが水辺に揃うと、引き摺り松明から火を移された大松明の周りを御興が回り、水辺から火と共に厄(蟲など)を海へとお帰り願い、燃え尽きた大松明が倒れ、それに付いた御幣をお守りにと氏子が競い頂きます。
御興が御仮屋へ収まり、奉灯は御仮屋で御礼させていただいた後、当番家へ帰り、直会(なおらい:慰労会)でお開きとなります。
勿論、お世話される方々は、祭りの前後に様々な調整・調達・設営・撤収をされるのですから大変なご奉仕となります。
男衆も女衆も全員が係わり参加する。これが輪島の奉灯祭りの一日です。

<寄稿:五嶋УΛК躍治> 
posted by きりこ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 寄稿

2006年08月31日

能登の祭り文化

このたびのweb製作のために、能登の祭りに関する資料を集めたが、
予想をはるかに超える各地の祭りの多さに、改めて驚かされた。

能登の実家の母からもよく電話がかかってくる
「明日は○○の祭りやさけぇ、帰ってこん?」
「先週も何やらの祭りやったがいね」
「あれは□□の祭りやから全然ちごうよ(違うよ)」
「ほんなしょっちゅう祭りのたびに帰っとれんてー」
「ほんでも、向かいの△△さんちのとこは、よう帰って見えとるよ」

……もちろん、祭り行事そのものも大事だが、何より欠かせないのが
その後の宴会なのである。
さしずめ、気が置けない仲間や身内とのホームパーティと言ったところか。
このパーティの話題は決まって年寄りたちの「わしらの若い頃は…」
から始まるのだが、参考になる話が多く面白い。
裏山の、どのあたりで一番山菜がとれるとか、
マムシや蜂がいて危険な場所や、
大雨で川が決壊した時はどの高さまで水が来たかとか…
インターネットや本では見つからない、
生活の知恵と教訓がたっぷり詰まった貴重な話題ばかりだ。

そのお礼に、操作に手こずっているHDレコーダーの使い方を説明する。
「な〜んや、ここがわからんかったんやー」

リアルな情報共有の場がここにあった。(ちょっと大げさですね…)
たぶん何百年もの昔から、変わらずに活用されていたのだ。

北前船が活躍していた頃、寄港地だった能登には、大量の物流と共に
文化や情報も流れ込んで来たと言われる。
それらの価値を十分理解していた能登の先人たちは、
余すことなく次の世代に伝えるために
祭りのシステムや、そのコミュニティをうまく利用したのかもしれない。

秋祭りがこれから本番をむかえる。 
posted by きりこ at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 祭り・行事